鷹栖町

鷹栖町郷土資料館

概要

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郷土資料など約6,500点が収められています。郷土史研究会や文化財審議会の協力を得て資料収集を行ない、1階には明治開拓時からの先人の苦労を物語る展示を中心に上川検分の記念碑「国見の碑」及び、昭和30年ごろまで農耕の主役だった馬での耕作風景のジオラマがあります。大正10年に用水の谷越え施設として紆余曲折の末完成した木製のサイホン管、多いときには五軒あった装蹄所作業場の復元、当初屈曲した暴れ川として住民を苦しめた「オサラッペ川」の大改修の図面、移住者が使った手回しの扇風機など、開拓をテーマにしたものが多く展示されています。
2階は大正期の家屋内の復元、農具の移り変わり、藁製品・砂金掘りの道具・凧上げ、めんこ等昔の遊び・蓄音機・カメラなどの推移・ふるさと英霊室・手押しポンプの消防車などが展示されています。

特徴

農業形態の変化と、水との戦い。明治25年に石狩川の右岸一帯が「鷹栖村」として開村されてから、数回の分村を経て現在の鷹栖町の姿になりましたが、開拓当時から色々な意味で「水」との戦いでした。原野へ入植した人々は、原始の森を切り開き、当初「亜麻」や「雑穀類」を作付けしましたが、「白いお米を食べられる百姓をしたい」という思いの人々は、沢水・ため池などを利用して水稲を試作しました。
しかし灌漑水量不足から大きな面積での試みは失敗に終わり、用水の確保が必須と判断した人々は、近代的な測量機材や建設機械も無い時代に1/1000〜1/2000という勾配で、45kmにも及ぶ灌漑溝を計画し着工しました。灌漑溝の完成は、米作りに多大な恩恵を与えましたが、村を屈曲しながら貫流する「オサラッペ川」は雨が降ったり、次々と拓かれた水田からの放流などでも洪水を繰り返し入植者を悩ませました。
水とのもう一つの戦いは、この「オサラッペ川」の大改修でした。全長52kmもあった暴れ川を半分の25kmにする治水工事で、この大事業の費用負担配分は3村分割の引きがねにもなったものです。

建物概要

  • 所有者(管理者) 鷹栖町教育委員会
  • 建物の外観  ブロック造り2階建て
  • 建物の大きさ  一階185屐‘鶻198

交通・アクセス

  • 所在地   〒071−1201 鷹栖町南1条1丁目
  • 車で   旭川駅から車で20分 旭川空港から車で40分
  • バスで  道北バス10線10号行き
           乗車:旭川駅前 → 降車:終点
           所要時間:約30分 料金:片道450円
  • 周辺の環境 鷹栖町商工会隣接(クロス10)
  • 開館時間   夏期:10時00分〜18時00分
             冬期:10時00分〜16時00分
  • 開館日    毎週水・土曜日(年始は休館)
  • 入場料    無料
  • 駐車場    有
  • 問合せ先 鷹栖町教育委員会 社会教育係
    TEL:0166−87−2028  FAX:0166−87−2850

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沿革

昭和50年代に入り、郷土の見直し機運の高まりから資料館の設置がもとめられ、郷土史研究会や文化財審議会の協力を得て昭和52年から資料収集に取りかかり、北海道振興補助金の助成を受けて、昭和53年8月8日に郷土資料館として開館しました。
建物は昭和36年に青年研修所として建設されたブロック造り2階建てが、役場の分室として利用されたのち、役場の移転により空いたため、内外装をリニューアルし、1・2階展示面積延べ384屬龍薪攣駑全曚箸靴導館しました。

・設立年月日  昭和53年8月8日

写真

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建物外観  オサラッペ川

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上川中部圏自治体情報化連絡会 (事務局・旭川市情報政策課)