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上川中部圏ギャラリー

旭川市彫刻美術館/井上靖について

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2-01 井上靖記念館

正面
井上靖記念館は文豪・井上靖が旭川で生まれたことを記念して,1993(平成5)年7月24日に開館しました。展示室は井上靖の直筆原稿や著書,日常の愛用品,親交のあった芸術家の作品などが主に年代ごとに展示され,その生涯の業績を紹介しています。また,常設展示のほかに定期的に企画展を行っています。記念館内ラウンジには,井上靖や日本の近代文学の書籍,北海道の郷土資料本,各地文学館の出版物及び関連図書などが置かれており,読書をしながらゆっくりとくつろいでいただくことができます。文学講演会や文学講座,ロビーコンサートなどの行事も定期的に行われています。


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2-02 井上靖記念館

正面


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2-03 井上靖記念館

展示室入り口


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2-04 井上靖記念館

展示室入り口


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2-05 井上靖記念館

ラウンジ


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2-06 井上靖記念館

行事の写真


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2-07 井上靖記念館

行事の写真


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2-08 井上靖(1907(明治40)〜1991(平成3))

井上 靖 肖像


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2-09 井上靖(1907(明治40)〜1991(平成3))

官舎の模型写真


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2-10 井上靖(1907(明治40)〜1991(平成3))

出生間もないころの靖


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2-11 井上靖(1907(明治40)〜1991(平成3))

出生間もないころの靖


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2-12 井上靖(1907(明治40)〜1991(平成3))

父母写真


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2-13 井上靖(1907(明治40)〜1991(平成3))

机辺の遺品


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2-14 井上靖(1907(明治40)〜1991(平成3))

愛用品 万年筆 インク壺 メガネ


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2-15 井上靖の主な作品及び文学賞受賞暦

井上靖の主な作品を紹介します。


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2-16 井上靖の故郷来訪

除幕式の写真
旭川で生まれた井上靖は,後に大作家となってからは講演会などで4回来旭しています。
4回目
1990(平成2)年9月18日から9月21日
1990年,旭川市は旭川村が設置されてから100年を迎え,市内各地で開基100年記念事業が行われました。その事業の一環として井上靖は来旭しています。19日昼は旭川市開基100年を記念して新たに市内4条通8丁目に設置された井上靖文学碑の除幕式を行いました。除幕式では碑に刻まれた詩を井上靖自らが朗読し,200人を超す見学者に深い感動を与えています。その夜は,旭川パレスホテルにて1,000人以上の聴衆のもとで「私の孔子」をテーマに講演を行いました。翌20日は旭川市大雪アリーナを会場として行われた,旭川市開基100年記念式典で特別記念講演を行いました。講演の中では前日に除幕式が行われた文学碑の碑文と「ナナカマドの赤い実のランプ」を朗読しました。


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2-17 井上靖の故郷来訪

パレスホテル講演


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2-18 井上靖の故郷来訪

アリーナ講演


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2-19 井上靖の故郷来訪

アリーナ前ふみ夫人との写真


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2-20 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(一)の1ページ目の冒頭文です。

私は明治四十年(一九〇七年)に北海道の旭川に生まれた。父は当時第七師団軍医部勤務の二等軍医であった。父は二十六歳、母は二十二歳であった。


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2-21 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(一)の2ページ目です。


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2-22 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(一)の3ページ目です。


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2-23 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(一)の4ページ目です。


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2-24 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(二)の1ページ目です。


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2-25 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(二)の2ページ目です。


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2-26 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(二)の3ページ目です。


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2-27 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(二)の4ページ目です。


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2-28 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(三)の1ページ目です。


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2-29 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(三)の2ページ目です。


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2-30 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(三)の3ページ目です。


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2-31 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(三)の4ページ目です。


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2-32 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(四)の1ページ目です。


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2-33 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(四)の2ページ目です。


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2-34 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(四)の3ページ目です。


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2-35 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(四)の4ページ目です。


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2-36 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(五)の1ページ目です。


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2-37 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(五)の2ページ目です。


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2-38 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(五)の3ページ目です。


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2-39 旭川の登場する作品

幼き日のこと直筆原稿です。
幼き日のこと旭川(五)の4ページ目です。


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2-40 旭川の登場する作品

(写真は雪をかぶったナナカマド)
堀口先生のこと
1980(昭和55)年2月,慶應義塾発行の『三田評論』2月号に発表。詩人・堀口大学と散歩をしたエピソードに始まり,旭川を訪れた靖がかつて父母が生活していた辺りを散策している際,堀口大学が母のことを詠った詩を思い出し,自身も母に対しての思いがこみあげてきたという様子が語られています。旭川市民の木・ナナカマドの街路樹を見て「ナナカマドの雪をかぶった赤い実のランプよ」と詠っています。


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2-41 ナナカマドの赤い実のランプ

雪をかぶったナナカマドの赤い実の洋燈に導かれて、街の中心部に入って行く。雪の町・旭川。
この旭川の町で、私は生まれている。明治四十年五月六日の誕生。併し、旭川という軍隊村が呱々の声をあげてから、僅か十七年。軍靴の音以外、何も聞こえない、さぞ淋しい、ひっそりとした集落であったろうと思う。
その旭川村で二十七歳の父、二十二歳の母、そして生まれた許りの嬰児の私。
巣篭りという詞があるが、この詞ににぶつかると、ふしぎなことに、私の場合は、その想像もできぬ旭川軍隊村に於ける、一家三人の生活が、四十雀の、木の洞の中に営む巣造りのような形で、眼に浮かんでくる。雪に包まれた辺境の小さい官舎の中で、人生に出発した許りの、若い夫婦は、嬰児の私をまん中にして、いつも戸外に聞耳を立て、身も、心も、寄せ合っている以外、いかなる生き方もなかったであろう。
併し、そうした巣造りも、半歳とは続かなかった。年が革まると、第七師団に大陸出動の命令が降り、二等軍医の父も従軍。あとには、若い母親と嬰児の私。ナナカマドの洋燈が、小さい官舎の周りにも、点々と配されていたに違いなく、それに依って、母親は、どのくらい心を慰められたことであろうか。
こうした二人を、郷里・伊豆から、母方の祖父が迎いにやって来たのは、三月であったか、四月であったか。
この年、明治四十一年三月、初めて青函連絡船が就航。祖父と、母と、嬰児の私は、この新時代の象徴、連絡船なるものの恩恵に浴して、函館から青森へ、楽しい船旅を続けたことであろう。
そして、青森からは列車で、郷里伊豆を目指した筈である。
私はこの辺りまでの、一歳未満の、己が稚い運命の波立ちを、よしとする。多少の転変、起伏とも言うべきものが、己が幼い人生行路を貫いており、それを、雪をかぶったナナカマドの赤い実の、小さい洋燈が照らしている。
それはさて措き、嬰児の私を、函館から青森に運んでくれた青函連絡船は、八十年に亘る労多き使命を果たし、昭和六十三年(一九八八年)三月十四日に廃され、青函トンネル・一番列車がそれに替わっている。連絡船より、私の方が長生きしている。


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2-42 旭川の登場する作品 

ふみ夫人による"靖と旭川"直筆原稿
靖と旭川 
1979(昭和59)年に靖とふみ夫人が旭川を訪れた際の思い出をつづったもので,1993(平成5)年7月に井上靖通りに設置された石碑にその文章が刻まれています。


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2-43 旭川ノート

旭川ノート表紙 万年筆
井上靖記念館に,井上靖直筆の1冊のノートが収蔵されています。そのノートは表紙に旭川とタイトルが付けられ,万年筆で5ページ,旭川とのかかわりが書き連ねられています。晩年,井上靖は旭川のことをよく口にしていました。A4判の普通の大学ノートで,まだ書き始めたばかりであり,量も決して多くはありません。しかしながらノートに語られている旭川への思いは,これから旭川を舞台とした作品が生まれていたかもしれないという無限の想像力をかきたててくれます。


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2-44 旭川ノート原文

明治四十年(一九〇七)五月六日、北海道上川郡旭川町第二区三條通り一六の二の小さい一戸建ちの陸軍官舎の、父隼雄、母八重の長男として生れる。父は二十七歳、母は二十二歳。父は当時、旭川第七師団軍医部所属の陸軍二等軍医。翌明治四十一年(一九〇八)三月、第七師団に朝鮮駐屯の動員下令。父の従軍に伴い、郷里より母方の祖父の出迎えを得て、母と郷里伊豆へ帰る。
七師団への明治四十一年の動員下令は三月だと思うが、一応確めること。


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2-45 旭川ノート原文

母親の八十九年の生涯の中で、最も淋しい時期は、私が貰ってるのではないかと思う。父親の最初の赴任地である北海道の旭川、そこで、私は生れている。父は二十七歳、母は二十二歳。大体、旭川という兵隊の集落そのものが、この地上に姿を現わして、僅か十七年。しかも私が生れて半年程経つと、七師団には動員下令、無力な妻子を後に遺して、父も部隊の一員として、旭川をはなれ、海を渡っている。それから、いつか、茫々八十三年、


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2-46 旭川ノート原文

それから、いつか、茫々八十三年、開基百年の旭川市の式典に列するために旭川にやって来て、その翌日、市役所の人たちの案内で、生れた地区に案内して貰う。現在の「師団通り」に沿った地区。旭川町第二区三条通り一六の二。
−−−ここに木造一戸建ての小さい陸軍官舎が何軒か竝んでおり、その中の一軒。その後、長屋風の官舎に改められるが、その前の段階。この辺りには疎らな、−−の木の林でして、冬は家に雪が吹き込んで、寒かったことでしょう。


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2-47 旭川ノート原文

−−−雪は積もったでしょうね。
私が訊くと、
−−−この辺りは積らなかったと思います。ごらんの通りの吹きっさらしの大平原の一画。木立ちが十本か、二十本、あるだけです。雪は一日中、この疎らな林の中を舞っていたと思いますね。私は辺りを見廻していたが、まさにその通りであろうと思った。後でどこかで明治の頃の“師団通り”の寫眞を見せて貰う。大きな、巾の広い通りに雪の舞っている蕭條たる風景である。雪は降っているのではなく、舞っているのである。


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2-48 旭川ノート原文

そうした通りを、通行人は一人残らず、下を向いて歩いている。風が強いのであろう。顔を上げているのは一人もない。まだ街路の両側には店舗は竝んでいない。歯の欠けたように店が所々に、その姿を見せ始めている。母もこの通りを下を向いて、自分の足許を見詰めて、一日に一回や二回は歩いたことであろう。寒くもあったろうが、淋しかったに違いない。私も母親のお腹にの中に入れられて、ここを何回も通過していることであろう。どこか、この近くに市場はあった筈である。


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2-49 井上靖文学碑

井上靖文学碑は旭川市開基100年を記念して旭川信用金庫が建立した後,旭川市に寄贈されました。市内中心部の旭川市4条通8丁目に設置されており,この碑文用に書き下ろされた詩が自筆文字で刻まれています。
製作:中井延也(彫刻家 第21回中原悌二郎賞優秀賞受賞作家)
碑石:黒御影石 
寸法:幅1.7メートル 高さ1.25メートル 奥行き0.7メートル 重さ約3.7トン


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2-50 井上靖文学碑

碑文前での写真


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2-51 井上靖文学碑

碑文の直筆原稿


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2-52 井上靖通り

通り写真
旭川市春光4条2丁目から春光5条2丁目間の約830メートルの市道春光大通りは井上靖通りとして市民の皆さんに親しまれています。井上靖が近隣で生まれていることいることをきっかけに井上靖記念館の開館にあわせて整備されました。中央分離帯が歩行者専用道路になっており,四季をイメージし,春,夏,秋,冬の4つの広場が設けられ市民の木ナナカマドなどの木々や花が植えられています。井上靖の生誕時のことを綴った「幼き日のこと」の一節やふみ夫人の「靖と旭川」が刻まれた石碑,噴水,ベンチ,水路などが設置され市民の皆さんの憩いの場となっています。


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2-53 井上靖通り

通り写真


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2-54 井上靖通り

開通式写真


上川中部圏自治体情報化連絡会 (事務局・旭川市情報政策課)